2023年 8月17日 プロ野球偉人伝

久し振りにブログを更新します。今後は私の好きな中日ドラゴンズ・岡林勇希選手の活躍や中日ドラゴンズの試合考察、プロ野球やMLBで活躍された方の紹介や大谷翔平選手など日本人MLB 選手の活躍をブログで紹介していこうと思います。

今日はプロ野球で活躍された方の紹介をしていきます。ブログ再開1発目は西武ライオンズでエースとして活躍し、”不運の男”として知られている西口文也投手を紹介します。

西口投手は現役時代、通算182勝118敗 防御率3.73を記録。独特の投球フォームと切れのいいストレートと決め球のスライダーを武器としていました。現在は埼玉西武ライオンズの2軍監督として若手育成に携わっています。

西口投手は1994年ドラフトで東都リーグ・立正大学から西武ライオンズに投手として3位で指名されます。当時の西武監督は投手出身で同郷(和歌山出身)の東尾修氏。

入団1年目当時の東尾氏は西口投手について振り返った際に「キャンプで鍛えようとしたが、驚くほどに細かった。当時の森繁和投手コーチが西口の食事につきっきりで、詰め込ませていたのを思い出すよ」と語っていました。

1年目の西口投手は米独立リーグに野球留学してチェンジアップを取得。帰国後は後半戦に9試合登板し、初完投・初完封を含む2勝0敗の成績を残しました。

2年目は先発ローテに定着して16勝173奪三振はリーグ2位、3年目4年目は連続最多勝に輝き、3年目は特に沢村栄治賞やMVPを獲得するなど大車輪の活躍。その後、2年目から7年連続2ケタ勝利を続けます。

5年目には西武に松坂大輔投手が入団し、以後、ダブルエースとして活躍を続けます。

西口投手のハイライトは11年目の2005年。この年は2003年、2004年と怪我に泣いた翌年で1年間フルに活躍して17勝をあげてキャリア唯一の防御率2点台を記録します。

2005年の西口投手と言えばキャリア3度のノーヒットノーラン”未遂”のうち2回を記録した年。この年の最初は交流戦での巨人戦。この試合は清原和博選手に対しての死球以外、ランナーを一人も出さずに9回二死、1番・清水隆行選手にスライダーを右翼スタンド中盤に運ばれ、結局1安打完投勝利となります。この年2回目は八月の楽天戦。この試合はランナーを一人も出さずに完全試合ペース。9回二死に最後のバッターを打ち取り完全試合達成。と思われましたが、打線も楽天先発の一場靖弘投手の好投で0対0で試合は進み、9回もチャンスを作りますが得点できず。延長戦に突入し、10回も続投した西口投手は先頭の沖原佳典選手にライト前に運ばれてノーヒットノーランまでも消滅。後続を抑えて10回裏にサヨナラで完封勝利を記録します。

西口投手は2002年にも9回二死からヒットを打たれてノーヒットノーラン”未遂”を起こしているだけでなく、3回の”未遂”はいずれも「28人目」の打者に打たれています。

西口投手は2005年以降は衰えや怪我に泣き、二ケタ勝利は2011年のみで2015年に引退。引退試合ではチーム本拠地最終戦の5回二死で登板しますが打者一人で2-3までカウントが進みますが四球を出して降板。この試合はロッテとのクライマックス進出を争った直接対決でした。この四球に関して西口投手は「自分らしい」と試合後に語っていました。

西口投手は引退後は西武編成部にはいり、その後は2軍・1軍投手コーチを歴任し、2022年から2軍監督に就任しています。将来的には1軍監督に就任するのではないかと言われています。

西口投手は長年にわたり西武のエースとして活躍し、現役晩年は投手陣の精神的支柱として君臨しました。今後も指導者として多くの投手を育てて投手王国を築いてほしいです。

今回は西口投手を紹介しました。野球を始めた小学生時代から学生だった当時、西武ライオンズのファンだった私は西口投手が一番好きな選手でした。伝家の宝刀のスライダーや細身の体形からの投球フォームがかっこいいと思ってよく真似をしていました。私は草野球で背番号13番をつけていますが、西口投手の13番を真似してつけています(今では岡林勇希選手のファンですが…)。

また明日以降も更新していきます。明日は岡林選手の最近の活躍を取り上げます。ご拝読ありがとうございました。

コメント

タイトルとURLをコピーしました