今回は1990年代後半に西武ライオンズで活躍し、”レオのプリンス”として知られた髙木大成さんを紹介します。
髙木大成さんは1995年ドラフト1位で慶応大学から俊足好打のキャッチャーとしてライオンズに入団し、当時ライオンズの正キャッチャーの伊東勤さんの後釜として期待されました。
1年目こそキャッチャーとして起用され80試合に出場。しかし伊東さんの壁は厚く、2年目から打力と俊足を活かしてファーストにコンバートされレギュラーを獲得。
1997年と1998年のリーグ連覇を3番打者として、ショートの松井稼頭央さんやエースの西口文也さんらとチームを牽引しました。
順風満帆に思えたプロ野球人生ですが、4年目の1999年の春季キャンプで右足首靱帯断裂の故障から暗転してしまします。
1999年こそ110試合に出場していますが、その後は左膝など複数個所で毎年故障し出場機会が激減。2004年には1軍出場がなく、2005年は13試合出場に留まり、同年で現役引退しています。
髙木大成さんは故障がなければもっと成績を残していただけでなくて、俊足好打のファーストとして新たなファースト像が確立していたかもしれません。
そんな髙木大成さんですが、引退後はライオンズ職員に転職しています。ライオンズのイベントなどの球団行事に携わったり、数年前にライオンズの試合に解説として出演したり活躍されています。
現在は放映権と肖像権を扱うライツビジネス事業部部長となっているそうです。
今後もライオンズのイベントなどで髙木大成さんのお姿を見られることは多いと思います。
現在ライオンズは低迷していますが、髙木大成さんのような勝負強い打者が一人でも多く台頭してくれることを期待してブログを終えます。
ご拝読ありがとうございます。
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