今回は1990年代後半から2000年代前半に西武ライオンズの2番打者として活躍した小関竜也さんについて紹介していきます。
小関さんと言えば、1番大友進さん、3番松井稼頭央さんの間でつなぎ役として進塁打や犠打を駆使して1998年の優勝に貢献し、2002年は1番松井さんの後の2番打者として打率3割1分4厘を記録してライオンズの圧倒的なリーグ優勝に大きな貢献をしました。
小関さんは1994年ドラフト2位でライオンズに高卒で入団。入団4年目までは通算2試合に留まりましたが、5年目の1998年に佐々木誠さん、垣内哲也さんの故障やスランプで出場機会を得てライトのポジションを獲得して、ライオンズの優勝もあり同年の新人王に輝きました。
その後、2003年までライオンズの2番打者として活躍し、守備でも元投手の強肩を活かした守備で2002年にベストナインとゴールデングラブ賞を獲得。
リーグ最多犠打1位にも2回輝くなど、1番松井、2番小関は当時ライオンズの不動の1,2番コンビでした。
小関さんはその後、2004年、2005年と赤田将吾さんや佐藤友昭さんの当時若手の台頭があり、レギュラーをはく奪され、2005年にライオンズを退団。その後はメジャーリーグに挑戦したり読売ジャイアンツや横浜ベイスターズに所属して2009年に引退しています。
引退後はコーチを歴任し、2011年~2018年ジャイアンツ、2020年~現在までライオンズにコーチとして所属しています。
現在、ライオンズのファーム野手総合コーチとして若手の育成に奮闘しています。現在低迷しているライオンズで第2の小関さんの台頭を期待して、その育成力に期待しています。
まだまだ小関さんについて伝えたいことがたくさんありますが、今回はここで終えさせていただきます。
ご拝読ありがとうございます。
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