初投稿でまず私のあこがれ&グリフィー18の名前の由来となる選手の紹介です(ちなみに、18の由来は好きな打順・ポジション(1番・センター)です(笑))
1969年11月21日生まれ52歳(2022年9月25日現在)。
元MLB選手(外野手、指名打者)。シアトル・マリナーズ永久欠番『24』。
ペンシルベニア州ドノラに生まれ、シンシナティで育ち。父は元MLB選手ケン・グリフィー・シニア。
プロ野球・元近鉄などに所属したタフィ・ローズとは幼馴染で、いつも一緒に野球をプレーし、家族ぐるみの付き合いでもあったという。
1987年のMLBドラフトでモーラ高校からシアトル・マリナーズに1巡目(全体1位)指名を受け入団。
父のシニアは当時現役で、2世選手に対する風当たりは強く、人種差別を受けたため自殺を図ったこともあったが、マイナーを順調に駆け上がる。
MLBデビュー
1989年、4月3日のオークランド・アスレチックス戦で、19歳4ヶ月の若さでメジャーデビュー。初打席で二塁打を記録。
デビュー年は127試合に出場し、打率.264、16本塁打、61打点、16盗塁、OPS.749を記録。
翌1990年には早くも打率.300、20本塁打を達成し、ゴールデングラブ賞(センター)を獲得。
1993年には初の40本塁打、8試合連続本塁打のMLBタイ記録を達成するなど、順調に記録を伸ばしていく。
かねてより憧れの選手として公言していたイチローとは1995年オフにテレビ番組の企画で初対面すると、
1999年のマリナーズのキャンプにイチローが参加し、再会。休日は一緒にNBAを観戦する姿などが見られた。
1999年までマリナーズに所属し、本塁打王4回・打点王1回・MVP1回・シルバースラッガー賞7回・ゴールデングラブ賞10回を獲得。
MLBを代表する走攻守揃った5ツールプレイヤーとして君臨した。
圧巻だったのは1997~1999年で、打撃面では3年連続本塁打王と1997年打点王(147打点)を獲得。打点は1998年146打点、1999年134打点を記録した。
OPSは1997年1.028、1998年.976、1999年.960 を記録(キャリア最高は1994年1.076)。
守備・走塁面では、3年連続でゴールデングラブ賞(センター)を獲得しつつ、15~24盗塁を記録した。
1999年当時に集計されたMLBオールセンチュリー・チームでは、現役選手で唯一選出され、ウィリー・メイズに次ぐオールラウンダーという評価をされていた。
レッズ移籍。衰え。
1999年オフに家族が暮らすフロリダからはシアトルが遠いということを理由に2000年2月、かつて父が所属したシンシナティ・レッズと1対4のトレードが成立。
マリナーズ時代の背番号『24』から父がつけていた『30』に変更。
レッズ初年度こそ、打率.271、40本塁打、118打点の成績を残すが、その後は長年マリナーズ本拠地セーフコフィールドの人工芝で走り回っていたため、
相次ぐ下半身の重大な故障に苦しみ、走攻守で大きくパフォーマンスが低下してしまった。
レッズ初年度以降は2005年に35本塁打を記録するが、在籍9年間で30本塁打以上、規定打席到達は3回にとどまり、タイトルは2005年カムバック賞のみとなる。
2008年に通算600本塁打を達成するが、7月31日にシカゴ・ホワイトソックスにトレードで移籍。
古巣マリナーズ復帰。イチローとチームメイトに。
2009年、古巣マリナーズに移籍、イチローとチームメイトとなった。
シーズンではDH(指名打者)として19本塁打を記録する。
しかし、翌2010年は成績が低迷し、6月2日に現役引退を発表し、22年間にわたるキャリアに終止符を打った。
年 | 試合数 | 安打数 | 本塁打数 | 打点数 | 盗塁数 | 打率 | OPS | 獲得タイトル | 備考 | |
キャリアハイ | 1997年 | 157 | 185 | 56 | 147 | 15 | .304 | 1.028 | 本塁打王、打点王 MVP、SS賞 GG賞 | |
通算 | 22年 | 2671 | 2781 | 630 | 1836 | 184 | .284 | .907 |
引退後
引退後、2016年1月6日、史上最高得票率の99.3%(当時)でアメリカ野球殿堂入りした。
同年1月8日にシアトル・マリナーズで背番号『24』が永久欠番となる。
現在はマリナーズのコミッショナー付シニアアドバイザーに就任し、野球運営部門の相談役を務めるほか、ユースなど若手育成事業に携わっている。
以上、私のあこがれの選手ケン・グリフィーJrの紹介でした。
あの打撃フォームは美しく、今見ても憧れてしまいます。
今年のMLBホームランダービーでカメラ片手に現役時代そのままの無邪気な姿を見られたときはうれしく思いました。
今後、ケン・グリフィーJrを彷彿とさせる、胸躍る選手が出てくることを願っています。
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